「なぜ加害を語るのか」

熊谷伸一郎 岩波書店 480円

 

 著者は「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」の事務局長です。
 この本では、中帰連(中国帰還者連盟)の活動の歴史がコンパクトに紹介されています。

 

 釈放された戦犯たちが帰国したとき、それぞれの故郷に向かう前に話し合いをもち、それが「舞鶴協定」にまとめられたそうです。その第2項に「後半生は、間違って歩いた前半生と決別し、戦犯管理所の生活の中で体験した人道的扱いと。中国の平和政策を日本国民に告げ、日中友好を実現させるために力を合わせて努力すること」という決意が込められていました。

  

しかし、帰国後たえず警察に監視され、さらに河北新報で「中共引揚者、日本式風呂に身体のアカは流したが、心のアカまで流せたか。これからが問題」と書かれたように社会的偏見は続いたのでした。

 

それでも、中帰連が結成されて、加害の証言や、加害記録が出版される活動が続きました。そして、1965年には中帰連の第一回訪中団として初代会長の藤田さんらが中国を訪れたとき、当初の予定にはなかった周恩来との会見が行われました。藤田さんは1980年に亡くなりますが、棺の中で藤田さんの遺体は周恩来から贈られた中山服を身につけていたそうです。管理所の所長や所員も日本にも招かれて涙の再会もありました。

 

戦犯個々の加害の内容は比較的押さえ気味に書かれていますが、それでも衝撃的な加害の事実に息をのみました。さらに、中国の文化大革命時の中国共産党と日本共産党の対立があったとき、中帰連が分裂した時代があったことを知りました。しかし結局、再び一つにまとまって活動し、現在の奇蹟を受け継ぐ会に引き継がれてゆくのです。