「平和の花の種」50年後に撫順に戻る 日本戦犯の遺志実現

(中国通信=東京)

瀋陽11日発新華社電によると、中国の撫順戦犯管理所で改造を受けた日本の元戦犯で、故人となった副島進さんには生前、一つの願いがあった。それは管理所から贈られたアサガオの種を再び管理所に戻すことだった。今月10日、中国の若い女性、孫穎さんの助けで、アサガオの種が海を渡って元管理所の花壇に植えられた。

 撫順戦犯管理所であまり人に知られていない出来事があった。1956年、戦犯が釈放される際、管理教官の呉浩然さんは副島さんにアサガオの種を贈り、「再び中国を訪れる時には、銃を持って侵略に来るのではなく、平和の象徴の花を持ってくるように」と語った。これは副島さんの心に残った。

 半世紀余りがすぎ、中日双方とも当事者がすでに世を去った。しかし、アサガオの種の話は残った。

 大連医科大学で学んでいる大学院生の孫穎さんは、論文を完成させるための戦犯資料の収集に訪日した際、この美しい話を聞き、副島さんの夫人に会いに行った。副島夫人によると、副島さんは帰国後、庭にアサガオの種を植え、また種を近所にも分けた。毎年春になると庭にアサガオが咲いた。副島家はこの花を「赦しの花」、「平和の花」と呼んでいる。

 副島夫人は孫さんに「副島は今年7月に亡くなりました。中国人民の赦しのおかげで、生きて帰国でき、91歳まで生きることができました」と語った。

 夫人は孫さんにアサガオの種13粒を撫順戦犯管理所に渡すよう頼んだ。夫人は「これは副島の遺志」と語った。

 日本の戦犯は中国政府から釈放されて帰国した後、「中国帰還者連絡会」という組織を結成した。この組織は副島さんとアサガオの種の話を「赦しの花」と題する絵本にまとめた。絵と日本語、中国語で副島さんが軍隊に入り、中国を侵略し、捕虜になり、撫順で改造を受けたことを記している。

 撫順戦犯管理所陳列館の侯桂花館長は「以前、この話を知りませんでした。元戦犯が再び訪れると、いつもアサガオの花のことを尋ねていた理由がやっとわかりました」と述べ、この絵本を早期に中国で出版し、平和の花の種の話が永遠に伝えられるよう支援すると表明した。

 1950年から64年までに982人の日本の戦犯が撫順で改造を受け、最終的に全員釈放された。管理教官の人間性改造・教育の下で、かつての死刑執行役人が侵略の本質を徹底的に知り、撫順戦犯管理所を「再生の地」と称した。

 副島さんは1937年2月、中国での侵略戦争に派遣され、関東軍憲兵隊司令部憲兵曹長に任命された。45年9月、捕虜となり、50年6月から撫順戦犯管理所で改造を受け、56年、釈放されて帰国した。その後、再び中国を訪れることはなかった。