戦跡・遺跡を巡るー岩手県内

釜 石 市                        


釜石艦砲射撃(1945年7月14日、8月9日)

 

 岩手県沿岸南部に位置する釜石市。ここは、先の大戦において連合国軍に本州で最初の「艦砲射撃」によって甚大な被害を受けた地です。釜石への艦砲射撃は2度にもわたって行われました。1回目は、1945(昭和20)年7月14日で、2回目は、同年8月9日です。岩手県内で最も多い800人を超える死者を出しました。

 艦砲射撃の特徴は、砲撃の音よりも先に着弾の音が聞こえたことです。このような恐怖の中、市民の多くは逃げ惑い犠牲になっていったわけです。

 折しも、2回目の「艦砲」は、長崎への原爆投下の日と重なります。

 

 では、なぜ、東北の田舎岩手にある釜石が本州で最初の艦砲射撃を受けたのでしょうか。

 

 それは、当時、釜石が「鉄の街」として栄えていたことに由来しています。釜石鉱山から鉄が産出していたこと、製鉄所があったことから考えて、日本が戦争を遂行して行くに当たり、軍事的にとても重要な地点との認識の上での砲撃であったのでしょう。

 

 当時、国内の労働力不足を補うために国策として、多くの中国人や朝鮮人が強制的に連行され日本各地の鉱山などに送り込まれていました。釜石もその例外ではありませんでした。

 また、釜石には「仙台俘虜収容所第5分所」が置かれ、オランダ人、イギリス人、アメリカ人、ニュージーランド人などが収容されていました。彼らの使役企業は、日本製鐵釜石製鉄所でした。終戦時には351人収容されていましたが、このうち32人が艦砲射撃で犠牲になりました。

 

 →POW研究会(POW Research Network Japan) 死亡者リスト等掲載

 

2012.06.25 追加

 

2012年6月11日、釜石の武官府(旧海軍弾薬庫)跡の解体工事が始まりました。

被災前と被災後の武官府跡の姿を写真記録として残したいと思い記事を追加。

被災前の武官府(旧海軍弾薬庫)跡

被災後の武官府跡